私がいた松下電工は、経理社員が非常に強い力を持つ会社と言われていました。
他の会社と比べたわけではないのですが、先輩や上司からそう言われていましたし、また思い返せば非常に仕事がやりやすかった環境にあったような気がします。入社3年そこそこの若造が言うことを「大石がこういっているから、みんな協力してやりや」と営業所長に応援していただいたり、「大石の判子をもらってきたら実行しても良い」と言っていただいたりと、思い返せば思い当たることが多々あります。
今はどうかわかりませんが、当時は経理担当者の人事は人事部から切り離されていました。経理部の中に経理担当者の人事を担当する人事部長がいたのです。つまり、組織上、営業部があってその中に経理課があったとしても、経理担当者の人事権は営業部には無いのです。遠く離れた門真市にいらっしゃった経理部部長に人事権はあったのです。ですので、当時は「営業経理担当者は二君(営業部長と経理部長)に仕えることを忘れるな」と教育されていました。
話は変わりますが、現在産経新聞で「同行二人 -松下幸之助と歩む旅-」(北康利さん)を連載しています。私は読んでいないのですが、KAI_REPORTでその内容を知ることが出来ます。
この連載を読んでいて、なぜ松下電工で経理担当者の力が強かったのかが判りました。その答えは「事業部制」にあったのです。以下、引用です。
門真に本社を移した1933年、幸之助は日本で初めてとなる事業部制を導入します。1931年の880余名から2年で1600人と急拡大を続ける中での幸之助の経営判断です。
従業員数は約千六百人に達していた。さしもの幸之助も全従業員の把握は困難である。「経営者の感情の及ぶ、ほどほどの大きさの企業体」を理想としていた彼は、経営理念を文書にして「思い」を徹底する一方、事業部長を通じて従業員を把握することにしたのである。独立採算制が採られ、研究開発から製造、販売、宣伝にいたるまで、すべて事業部ごとに行うこととなった。
(産経新聞、同行二人(どうぎょうににん)第16回、北康利、2007/12/18、p.24)
しかし幸之助は事業部長にすべてを任せるわけではなかった。最終決断は自分にあるとし、「経理社員制度」と呼ぶ「横串」の制度を導入して、「縦串」である事業部の中に、事業部長の施策立案に拒否権を持つ幸之助直轄の経理社員を送り込んで、情報収集を図ります。
そして幸之助はこの経理社員を使って、こんなことまでやってしまいます。
側近にだけ漏らした彼の本音が、今になって少しずつ明らかになりつつある。例えば元松下電送会長の木野親之が幸之助から聞いたところでは、社長決裁を下ろした案件のうち、六割ほどは何かしら気に入らないところがあったという。しかし、全重役が判を押してきたわけだから、彼らの顔を立ててやる必要がある。
凄いのは、幸之助が木野に向かってそっと漏らした次の言葉だ。
「社長決裁に上がってくるような案件は、おしなべて決済から実行までに日数がある。その間に、うまく自分の思い通りになるよう持っていく。それが社長の仕事や。これができなければ経営者やないやないか」。きれいごとだけでは語れない経営の神髄がここにある。
引用終わり
人事権を握られている事業部長に、経理担当者がNOを言える訳がありません。日本で一番最初に事業部制を導入したのは松下幸之助さんですが、その裏にこの経理担当者の独立という制度があったことを知る人は、松下グループの中でも少ないのかもしれません。松下幸之助さんはどうやったこの制度を思いついたのでしょう。考え、考え、そして考えたからこそたどり着いた制度なのでしょうか。経営の神様だから、という一言では片付けられないものがあります。
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こんにちは!oratakiです。
組織の横串をどう刺すかということは悩まされることがあります。松下の経理の話は初耳でした。これから組織デザインするときの着眼点としてよいお話をもらえました。39。
投稿者 orataki : 2008年01月29日 06:21